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中道(ちゅうどう)

相対立する両極端のどちらにも執着せず偏らない見識・行動。
①苦楽中道。不苦不楽中道とも。快楽主義と苦行主義の二つの生き方を捨てること。出家前の釈尊は、王子としての贅沢な暮らしから快楽を求める生き方をしていたが、これを捨てた。また出家して苦行をしていたが、覚りに無益であるとしてこれを捨てた。その後、心身を整えて瞑想する中で覚りに至った。
②有無中道。非有非無中道とも。断見と常見の両極端のどちらにも偏ることなく、あらゆるものごとは、縁起の法にしたがって、生成消滅するという正しい見識に立つこと。
八不中道竜樹『中論』の冒頭にある詩句、不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去という八不(八つの極端の否定)によって指し示されるものごとの真実のあり方。
④空と中道竜樹『中論』には、「衆因縁生法は|我即ち是れ無なりと説く|亦是を仮名と為す|亦是中道の義なり」とあり、衆の因縁生の法(縁起)と空と仮名と中道を同一視している。竜樹は「もし一切は皆、空ならば、生も無くまた滅も無し」と説く。空こそが、生滅・有無などの対立する2項を離れたものごとのありのままの姿であり、これを中道というとする。
三諦における中道天台大師智顗『中論』の説を受けて、空仮中の三諦円融に基づく中諦を説いた。修行者の一心を観じて三諦円融を覚る一心三観の実践を説いた。『摩訶止観』巻3上には「中道第一義観とは、前に仮の空なるを観ずるは、是れ生死を空ず。後に空の空なるを観ずるは、是れ涅槃を空ず。双べて二辺を遮す……また、初めの観は空を用い、後の観は仮を用いる。これを双存の方便と為す。中道に入る時、能く双べて二諦を照す」と述べ、双遮・双照をもって中道としている。つまり空と仮をならべて否定(遮)するとともに、空と仮をならべて用い、障害なく通じ合って融和し、偏ることのない境地である。▷縁起/三諦