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慈悲(じひ)

慈しみ憐れむこと。仏教、特に大乗仏教では、智慧とともに主要な徳目とされる。慈はサンスクリットのマイトリー(友愛)、悲はカルナー、アヌカンパー(共感・同苦)の訳語。『大智度論』巻27に「大慈は一切衆生に楽を与え(与楽)、大悲は一切衆生の苦を抜く(抜苦)」とある。また涅槃経巻15に「諸の衆生の為に無利益を除く。是れを大慈と名づく。衆生に無量の利益を与えんと欲す。是れを大悲と名づく」とある。それぞれ慈と悲の解釈は入れ替わっているものの、いずれも抜苦与楽[ばっくよらく]を意味している。
『大智度論』巻40などには、3種の慈悲(三慈、三縁の慈悲ともいう)が説かれている。①衆生縁の慈悲(小悲)。衆生を縁にして起こす凡夫慈悲三乗声聞縁覚・菩薩)は、初めは衆生縁によって慈悲を起こし、のちに法縁に移るとされる。②法縁の慈悲(中悲)。諸法の空理を覚り、自他の差別なしと知ることを縁にして起こす、阿羅漢および初地以上の菩薩の慈悲。③無縁の慈悲(大悲)。何ものをも縁としない無制約な絶対平等の仏の大慈悲(大慈大悲)をいう。このように慈悲にも大小があり、仏は大慈大悲をもって衆生を救うために仏法を説いた。
『涅槃経疏』巻7には「慈無くして詐[いつわ]り親しむは、是れ彼の人が怨[あだ]なり」「彼が為に悪を除くは、即ち是れ彼が親なり」(236,237㌻で引用)と説かれ、破邪顕正が慈悲の振る舞いであることを示している。
「観心本尊抄」では「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(254㌻)と述べられている。日蓮大聖人末法衆生を救済しようという御本仏の大慈悲から、南無妙法蓮華経御本尊を顕して、私たち衆生に与えられた。また「報恩抄」には「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(329㌻)と述べられ、末法万年尽未来際にわたって衆生を救済する大慈悲が示されている。