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冥の照覧(みょうのしょうらん)

仏・菩薩や諸天善神が一切衆生の心や振る舞いをすべて見通して知っていること。「冥」とは顕に対する語で、通常は見えないが確かにあるものをいう。「照覧」とは、明らかに照らし見ること。「持妙法華問答抄」(466㌻)で日蓮大聖人は、持たれる法が第一ならそれを持つ人もまた第一であり、その人を謗ることは法を謗ることになると仰せである。そして、当時の人々がいかに表面上は仏法を尊んでいるようでも、その法を持つ人(法華経の行者、すなわち大聖人)を謗っていることは、すべて仏・菩薩が見通している。その冥の照覧に対して恥ずかしく思わないのかと厳しく戒められている。