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平左衛門尉父子の末路(へいのさえもんのじょうふしのまつろ)
平左衛門尉頼綱は
日蓮大聖人の御入滅の後もますます専横を極め、弘安8年(1285年)に対立勢力の
安達泰盛[あだちやすもり]らを滅ぼし(霜月騒動)、
執権をしのぐほどの権勢を誇った。しかし、永仁元年(1293年)に長男・宗綱[むねつな]によって謀反の罪で密告され、頼綱と次男・助宗[すけむね]の父子は自邸で自害した(平禅門の乱)。密告した宗綱も佐渡へ流罪され、一旦は許されて内管領になったものの、再び上総国(千葉県中部)に流罪され、一族は衰亡した。▷
平左衛門尉頼綱