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理深解微(りじんげみ)

「理は深く解は微たり」と読み下す。法理は深いのにそれを信じる人の理解力はわずかであるということ。道綽[どうしゃく]の『安楽集』にある。末法の時代には、浄土教以外の仏教の教え(聖道門)では覚りを得ることが困難である理由として挙げられる。この句の後に「未有一人得者(未だ一人も得る者有らず)」と説かれる。法然源空)らは聖道門法華経も含めて謗法を犯した。日蓮大聖人は「唱法華題目抄」(2㌻以下)で、当時、法華経が諸経より優れていることを認めていながら、法華経末法の人々の機根には対応していない教えであると貶めて念仏を勧める者たちこそが、悪知識であるとして糾弾されている。▷道綽/『安楽集』/未有一人得者