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能登房(のとぼう)

もとは日蓮大聖人の弟子であったが、遅くとも建治2年(1276年)7月までには退転していたようである。それ以外の詳細は不明。「聖人御難事」(1191㌻)、「上野殿御返事」(1539㌻)などで、名越の尼[なごえのあま]・少輔房三位房などとともに、欲深く臆病で知ったかぶりで、難が起こった時に退転した者として挙げられている。