「観心本尊抄」で地涌の菩薩が末法に出現する具体的なありさまについて述べられた「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(254㌻)との文を日寛上人が解釈し、折伏には二つの意味があるとしたこと(文段集546㌻)。
①「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」が「化儀の折伏」にあたる。この場合の「化儀」とは、法を広めるための現実的実践のことである。現実社会の中で仏法を広め、その力を社会・文化などの面で具体的に顕現し、民衆を救済する実践を行っていくのが「化儀の折伏」にあたる。愚王を誡責する化儀の折伏を行ずるのが、「賢王」すなわち在家である。現代にあって困難と戦いながら妙法を広める創価学会員の活動は、地涌の菩薩の折伏の行動にほかならない。
②「摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」が「法体の折伏」にあたる。「法体の折伏」とは、正法を説き現し法の正邪を明らかにしていくことをいう。日寛上人は、諸宗の邪義・邪法を破折して三大秘法の法体を建立された日蓮大聖人の実践が、この法体の折伏にあたるとしている。つまり、ここで用いられている摂受と折伏は、あくまで「折伏の上の摂受(=法体の折伏)」と「折伏の上の折伏(=化儀の折伏)」という意味となるのであって、いずれにしても、末法における弘教の方軌は「折伏」となる。▷折伏