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クシャーナ朝(くしゃーなちょう)

クシャーン朝ともいう。1~3世紀に中央アジアからインド北部を支配した王朝。クシャーン民族は、イラン系の民族で、バクトリア地方を支配していた大月氏のもとにいた五翕侯[ごきゅうこう](ヤグブ)の一つだった。クジュラ・カドフィセスは他の四翕侯を抑えクシャーナ王朝を樹立した。中国では、もとの名称にならって大月氏と呼んでいた。続いてヴィマ・タクト、ヴィマ・カドフィセスの2王がインドに進出し、インド洋と内陸のシルク・ロード地域を結びつけ交易を盛んにした。次のカニシカ王は約20年にわたって在位し、プルシャプラ(現在のペシャワル)を都とし、ガンダーラ地方を中心に中央アジアからインド中部に及ぶ一大帝国を建設した。また他の宗教とともに、仏教を保護した。ガンダーラ地方は仏教の一大中心地となり、特に説一切有部が盛んとなった。またギリシャ・ローマ文化の影響を受けたヘレニズム文化が栄え、仏像が誕生し仏教美術が発展した。3世紀中頃、イランのサーサーン朝のシャープール1世の進出を受け、その支配下に入りクシャノ・サーサーン朝となり、5世紀末には中央アジアの遊牧民族エフタルの侵攻を受けて滅んだ。▷カニシカ王