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カニシカ王(かにしかおう)

2世紀中期のクシャーナ朝の王。カニシカは迦弐志加、迦膩色迦、迦弐色迦などと音写する。遊牧民の月氏族(紀元前後の数世紀に中央アジアで活躍した民族)は中央アジアのバクトリアに定住し大月氏と呼ばれたが、その大月氏の中で最も力を得たクシャーナ族を出自とする。曽祖父はクジュラ・カドフィセス、祖父はヴィマ・タクトゥ、父はヴィマ・カドフィセスであるが、クジュラ・カドフィセスが他の諸侯を破って王となってクシャーナ朝が始まったと考えられている。カニシカは父の後を継いで王となり、プルシャプラ(現在のペシャワル)を首都とし、パキスタン西北部を中心に四方を征服して版図を最大にした。王は諸宗教とともに仏教を保護し、その治世下で大乗仏教が隆盛した。また首都があるガンダーラ地方でヘレニズム文化の影響が強い仏教美術が発展し、これはガンダーラ美術と呼ばれる。この頃、ガンダーラと副都である中インドのマトゥラーで、仏像の制作が始まった。また、カニシカ王中インドを征服した際、和議の結果、賠償の2億金の代わりに優れた仏教詩人・馬鳴[めみょう](アシュヴァゴーシャ)を獲得して厚遇し、精神的な支柱とした。伝承では仏典結集を行ったとされ、カシュミール国に500人の阿羅漢を集めて、有部の三蔵を結集したという。その時の論蔵が『大毘婆沙論』200巻と言われるが、疑義がある。▷クシャーナ朝/馬鳴