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平等・城等(へいらじょうら)

「聖人御難事」(1190㌻)にある。①「城」とは秋田城介[あきたじょうのすけ]のこと。秋田城介は役職名で、同抄では、北条時宗の義父にあたる安達泰盛[あだちやすもり](1231年~1285年)をさす。御家人の最有力者で、蒙古襲来の時に恩賞奉行となった。北条時宗死後、得宗被官の最有力者の平左衛門尉頼綱と共に執権の貞時[さだとき]を補佐し、弘安徳政と呼ばれる政治改革を行うが、後に頼綱と対立し、貞時の命令で謀反の疑いがあるとして滅ぼされた(霜月騒動)。②「平」とは平左衛門尉頼綱のこと。▶平左衛門尉頼綱[へいのさえもんのじょうよりつな]