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天智天皇(てんじてんのう)
626年~671年。第38代天皇。即位前は中大兄皇子[なかのおおえのおうじ]と通称される。舒明天皇[じょめいてんのう]の第2皇子で、母は皇極天皇[こうぎょくてんのう](斉明天皇[さいめいてんのう])。645年に中臣鎌足[なかとみのかまたり]らと謀って蘇我氏を滅ぼし、皇極天皇の同母弟である
孝徳天皇を即位させ、自身は皇太子として大化の改新を推進した。
百済の援軍として朝鮮出兵を試みたが、白村江の戦い(663年)で大敗した。没後翌年の672年、
天智天皇の子である大友皇子[おおとものおうじ]と天智の弟・大海人皇子[おおあまのおうじ](
天武天皇)との間で後継者争いが起きた(壬申の乱)。『扶桑略記』巻5には、寺院を建立するため地を平らにした時、長さ5寸(約16センチメートル)の白石が発掘され、夜に光明を放つので、
天智天皇は左手の薬指を削って
供養したと伝えられている。▷
天武天皇