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周公旦(しゅうこうたん)

中国の周を建国した武王の弟である旦。武王の死後、幼い成王[せいおう]を補佐した。周公という呼称については、一説には周の故地である岐山に封じられたことによるとされる。優れた政治家として儒教では聖人とされる。御書中では「一度髪を洗う間でも三度にわたって髪を握って洗髪を中止し、一度の食事の間にも三度にわたり食べているものを吐きだして食事を中止し、客を迎えたという」(278㌻、通解)との故事を紹介され、仏教以外の智人・賢人の例とされている。これは『史記』や『韓詩外伝』などにある。「三度にわたって髪を握る」とは、入浴中に来客があるたびに、解いた髪を手で握ってまとめて応対したこと。周公旦は周の王族の一員として、人を待たせても構わない身分であったが、天下の人材を失うことがないように、客人を待たすことなく応対し礼を尽くしたという故事である。