天台大師智顗が『摩訶止観』巻1下で、法華経(円教)を修行する者の境地を6段階に立て分けたもの。修行者の正しい発心のあり方を示しており、信心の弱い者が卑屈になったり智慧のない者が増上慢を起こしたりすることを防ぐ。「即」とは「即仏」のことで、その点に即してみれば仏といえるとの意。
①理即[りそく]。生命の本性(理)としては仏の境地をそなえているが、それが迷いと苦悩に覆われている段階。②名字即[みょうじそく]。言葉(名字)の上で仏と同じという意味で、仏の教えを聞いて仏弟子となり、あらゆる物事はすべて仏法であると信じる段階。③観行即[かんぎょうそく]。「観行」とは、観心(自分の心を観察する)の修行のことであり、観行即は修行内容の上で仏と等しいという意。仏の教えのとおりに実践できる段階。④相似即[そうじそく]は、修行の結果、仏の覚りに相似した智慧が得られる段階。⑤分真即[ぶんしんそく](分証即)は、真理の一部分を体現している段階。⑥究竟即[くきょうそく]は、完全なる覚りに到達している段階。