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塚原問答(つかはらもんどう)

日蓮大聖人佐渡流罪中の文永9年(1272年)1月16日・17日に塚原三昧堂で、佐渡・信越・北陸の念仏をはじめとする諸宗の僧ら数百人と行った問答のこと。念仏者らは当初、大聖人の殺害を計画していたが、佐渡国守護代[しゅごだい]・本間重連[ほんましげつら]から制止され、本間重連の立ち会いのもと法論に及んだ。16日の問答で、諸宗の僧らは大聖人に徹底的に打ち破られた。その結果、多くの僧が自らの信仰を捨て、大聖人帰依した。16日の最後に大聖人は、本間重連に急いで鎌倉に行って武勲を立てるよう促した。翌月18日に鎌倉から来た知らせによって、二月騒動[にがつそうどう]が起こって鎌倉で戦が行われていることが分かり、重連はこれを機に念仏を捨てて大聖人帰依した。17日に念仏僧・弁成[べんじょう]との問答が行われ、その記録は「法華浄土問答抄」(117㌻)として残されているが、これは塚原問答中のものと推測される。また弁成は、念仏僧の中心者の一人である印性房[いんしょうぼう]ではないかと推測されている。▷佐渡流罪/二月騒動/本間六郎左衛門尉重連