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幸西(こうさい)

1163年~1247年。鎌倉初期の浄土宗の僧。法然源空)の弟子の一人。成覚房[じょうかくぼう]ともいう。初め比叡山天台学を学んだが、36歳の時、法然に帰伏。1207年に法然らとともに迫害に遭い、幸西は阿波国[あわのくに](徳島県)へ流された。さらに1227年に壱岐へ2度目の流罪となった。その後、下総国(千葉県北部周辺)で布教した。念仏をとなえる回数にかかわらず、一念でも仏心と相応すれば浄土往生できるという一念義を主張したため、生涯、念仏をとなえ続けるべきだとする多念義と対立した。▷法然