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聖徳太子(しょうとくたいし)

574年~622年。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子[うまやどのおうじ]・豊聡耳皇子[とよとみみのみこ]・上宮王[じょうぐうおう]ともいう。聖徳太子とは後代における呼称。用明天皇の第2皇子。四天王寺や法隆寺を造営し、法華経勝鬘経維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]に告げた「世間は虚仮なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解にたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている(「開目抄」、230㌻)。