リンク表示:

北条宣時(ほうじょうのぶとき)

1237年~1323年。大仏朝直[おさらぎともなお]の嫡子。武蔵守[むさしのかみ](武蔵国国司の長官)、評定衆[ひょうじょうしゅう]を歴任した幕府の有力者。武蔵守殿などと呼ばれた。入道して観恵[かんえ]といった。父・朝直は鎌倉の念仏宗の中心者の一人・然阿良忠の信奉者で、宣時もその影響を受けていたと思われる。然阿良観忍性)とともに行敏[ぎょうびん]を使って日蓮大聖人を幕府に訴え、竜の口の法難のきっかけをつくっている。
宣時は、竜の口の法難の際、日蓮大聖人の身柄を預かる立場であったが、夜中に斬首をもくろんで連れ出したのを黙認し、斬首が失敗した後、熱海の温泉に逃避している(914,915㌻)。また大聖人佐渡流罪中、佐渡国守護であった宣時は、虚御教書(虚偽の幕府の命令書)を作り、大聖人と門下に迫害を加えた(1313㌻など)。弘安10年(1287年)、第9代執権・貞時[さだとき]の連署となった。幕府の実力者であった安達泰盛平左衛門尉頼綱の相次ぐ失脚に関与し、影響力を振るったと考えられている。▷本間六郎左衛門尉重連