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九横の大難(くおうのだいなん)

釈尊が在世中に受けた九つの大難のこと。経典により若干の相違がある。ここでは「法華行者逢難事」(966㌻)などに基づいて挙げる。
①孫陀利[そんだり]の謗。美女・孫陀利が、外道にそそのかされ釈尊と関係があったと言いふらして謗った。
婆羅門城の漿[こんず]。釈尊阿難を連れ婆羅門城を乞食したが空鉢であった時、年老いた下婢が、供養する物がなくて、捨てようとした臭い漿(米のとぎ汁)を供養した。バラモンがこのことは臭食の報いであると謗った。
阿耆多王の馬麦。バラモンの阿耆多王釈尊と500人の僧を自国に招いたが、王は遊楽にふけって供養を忘れ、このため釈尊一行は90日の間、馬の食べる麦を食べた。
④瑠璃の殺釈。釈迦族が波瑠璃王によって滅ぼされた。
乞食空鉢。釈尊阿難を連れ婆羅門城に入ったとき、王は民衆が釈尊に帰することを妬んで、布施し法を聞く者に罰金を課して制止したので、鉢は空であった。
⑥旃遮女[せんしゃにょ]の謗。バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて釈尊の所に来て、釈尊の子を身ごもったといって誹謗した。
調達が山を推す。調達提婆達多)が釈尊を恨んで殺そうとし、耆闍崛山霊鷲山)から釈尊を目がけて大石を落とした。小片が散って釈尊の足の親指を破って血を出した(出仏身血)。
⑧寒風に衣を索[もと]む。冬至前後の八夜に竹を破ったほどの寒風が吹きすさんだ時、釈尊は三衣を索めて寒さを防いだ。
阿闍世王が酔象を放つ。提婆達多にそそのかされ、父王を幽閉して新王となった阿闍世王が、釈尊を殺そうとして悪象を放った。▷阿闍世王/提婆達多/波瑠璃王/霊鷲山