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義月を指すに同じ(ぎつきをさすにおなじ)

「撰時抄」(270㌻)に引かれる『大唐内典録』の文。天台大師智顗による一乗止観の広め方を、道宣がたたえた文。同書には「三十余載、盛んに一乗を弘む。止観禅門、利益惟遠し。義、月を指すに同じ、筌蹄に滞らず」とある。月を指し示すためには指が必要であるが、月に目がいけば指は不必要であるように、「月を指す」は、真理そのものを理解させ、真理を伝える手段に過ぎない経文にはこだわらないという意味。「筌蹄に滞らず」も、魚やウサギを捕獲する場合、捕獲してしまえば、その手段である罠にはこだわらないとの趣旨で、同じ意味。天台大師が真理の体得を重んじて、その手段である経文そのものにはとらわれていなかったことをたたえたもの。筌蹄は『荘子』外物篇にある。魚を捕る竹かごの筌[うえ]とウサギを捕る蹄[わな]のこと。目的を達成するために利用する手段で、その達成後には不要になるもののこと。▷道宣