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(ぎ)

❶紀元前403年~前225年。中国・戦国時代の国家。戦国の七雄の一つで、黄河中流域を支配した。
❷220年~265年。魏晋南北朝時代の王朝。後漢の末に各地で反乱が起きる中、曹操[そうそう](155年~220年)が後漢の皇帝を迎えて実権を握り、子の曹丕[そうひ](文帝、187年~226年)が帝位につき、都を洛陽として魏を建国した。華北の大半を支配した。仏教史との関連では、朱士行[しゅしこう]という人物が漢人として初めて受戒して正式な出家僧となり、また西域へ仏典を求めるなど求法僧の先駆けとなったことで知られる。
❸386年~534年。北魏のこと。魏晋南北朝時代の王朝。中国北部で諸民族が興亡を繰り返す五胡十六国時代をへて、鮮卑の拓跋[たくばつ]氏が建国した。第3代の太武帝[たいぶてい]は439年に華北を統一。また道教を信奉し、仏教が普及したことで世が乱れたとして太平真君7年(446年)に廃仏を行い、仏画や仏像を破壊し仏典を焼却し沙門を生き埋めにせよとの詔を出している。これは三武一宗の法難の一つに数えられる。第4代の文成帝[ぶんせいてい]は「復仏の詔」を出して仏教を復興し、雲崗石窟を開いた。第6代の孝文帝[こうぶんてい]は竜門石窟を開いた。魏晋南北朝時代の仏教は、主として貴族や皇帝の保護のもとに流布されたので、北魏のように皇帝の意向によって仏教の隆盛が左右される事態が生じた。