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承久の乱(じょうきゅうのらん)

承久3年(1221年)5,6月に起きた朝廷と幕府の争い。後鳥羽上皇は政治の実権を拡大・掌握しようと図り鎌倉幕府を圧迫したが、幕府に制圧され、朝廷側はかえって勢力を弱め、幕府の支配力が強まった。乱の首謀者である後鳥羽上皇、その第3皇子の順徳上皇は、それぞれ隠岐国[おきのくに](島根県隠岐諸島)、佐渡国(新潟県佐渡島)への流刑に処された。乱に関与せず追及されなかった土御門上皇[つちみかどじょうこう](後鳥羽の第1皇子)も、自ら土佐国[とさのくに](高知県)に移り、後に阿波国[あわのくに](徳島県)に移り、同地で没した。日蓮大聖人は諸御抄で、後鳥羽上皇ら朝廷方がこの際に行った真言による祈禱のせいで「還著於本人」の結果となったと指摘されている(321,363㌻など)。なお、大聖人の御生誕は翌・貞応元年(1222年)である。▷後鳥羽上皇/順徳天皇/北条義時/勢多伽/真言亡国/還著於本人/伊賀太郎判官光季/宇治・勢多