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佐前佐後の法門(さぜんさごのほうもん)

佐渡流罪以前の法門を「佐前の法門」、以後の法門を「佐後の法門」と呼ぶ。日蓮大聖人の説かれた法門は、竜の口の法難での発迹顕本を境として、それ以前と以後に大きな変化がある。建長5年(1253年)4月28日に立宗宣言されて以来、文永8年(1271年)の佐渡流罪に至る18年間は、題目の流布にとどまり、三大秘法の法門については名目すら明かされていない。しかし、竜の口の法難を機に発迹顕本され、それ以後は末法の御本仏として、曼荼羅御本尊を図顕され、「開目抄」「観心本尊抄」など重要な法門を明かされていく。大聖人は「三沢抄」で「又法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ……去る文永八年九月十二日の夜たつ(竜)の口にて頸をは(刎)ねられんとせし時より・のち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもにまこと(真)の事をい(言)わざりけるとをも(思)うて・さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489㌻)と述べられているように、佐渡以前に明かされた法門はいまだ御自身の真意を尽くしていないとされている。▷発迹顕本/竜の口の法難