理の一念三千に対する語。ひとくちに事の一念三千といっても、天台教学における事の一念三千と日蓮仏法における事の一念三千があり、両者は異なる。
①天台教学における事の一念三千。法華経本門の如来寿量品第16では久遠実成が明かされ、久遠の仏の本果が示されるとともに、その本因としての菩薩道も示され、本因と本果の常住が明かされた。さらに、久遠の本仏が、九界の衆生の住む娑婆世界の上に現れるという娑婆即寂光が説かれ、真実の国土世間とその常住が明かされた。これによって、一念三千を構成するすべての要素が完備した。これは仏の振る舞いの上に事実として現れている一念三千である。これが天台教学における事の一念三千である。
②日蓮仏法における事の一念三千。日蓮大聖人が御自身の振る舞いの上に体現して説き示された、三大秘法の南無妙法蓮華経。天台教学における一念三千の理と事は色相荘厳の仏に即したものであり、機根の劣った凡夫である末法の衆生にとっては、いずれも結局は理論上の枠組みとしての「理」にとどまる。凡夫が事実の上で成仏できる法は、大聖人が名字即の凡夫である御自身の振る舞いの上に体現して説き示された三大秘法の南無妙法蓮華経である。▷一念三千/久遠実成