リンク表示:

一念三千(いちねんさんぜん)

天台大師智顗『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具[じっかいごぐ])・十如是[じゅうにょぜ]・三世間[さんせけん]のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼畜生修羅・人・天・声聞縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土衆生が生まれ生きる環境)のこと。
日蓮大聖人一念三千成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種[ぶっしゅ]」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生仏知見(仏の智慧)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界凡夫一念仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄では、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳題目妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経末法凡夫成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。
なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗澄観[ちょうかん]は華厳経の「心如工画師[しんにょくえし](心は工[たく]みなる画師[えし]の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言善無畏大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行[いちぎょう]を用い、一行大日経一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。そして、天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると大聖人は批判されている。▷三世間/十界/十界互具/十如是/仏種/南無妙法蓮華経/『摩訶止観』/事の一念三千