インドにおける大乗仏教の歴史的展開の最後期、7世紀から本格的に展開した仏教。古代インドの民間信仰を取り入れ、神秘的な儀礼や象徴、呪術を活用し、修行の促進や現世利益の成就を図る。日本では空海(弘法)以来、密教以外の通常の仏教を顕教と呼んで区別する。
【成立と展開】密教の成立は呪術や儀礼の発達から説明できるが、5世紀ごろにはその原初形態があったと考えられている。呪術は初期仏教では否定されていたが、比丘の護身用の呪文は例外的に認められた。大乗仏教では、現世利益のための呪文が菩薩行として正当化されるようになる。例えば大乗経典では陀羅尼[だらに](ダーラニー)や真言(マントラ、神聖な呪文)が説かれ、初期大乗経典である法華経の陀羅尼品には陀羅尼・真言で修行者を守護することが説かれている(法華経640㌻以下)。陀羅尼とは総持[そうじ]とも訳され、もとは教えを記憶し保持することを意味したが、そのために唱える句も陀羅尼と呼ばれ、やがてそれが神秘的な力をもつものとして、災難を取り除くための呪文を意味するようになった。真言はヴェーダ文献から見られる語であり、呪文としての陀羅尼と真言は意味的に明確に区別しがたい。
陀羅尼や真言は、やがて仏や菩薩といった種々の尊格が与えられ、その尊格に帰依し一体化して、無病息災や異国調伏といった世俗的な利益を得るための儀礼として用いられるようになる。また手・指の形態によって尊格の徳を象徴する印[いん](ムドラー)が取り入られ、さらに覚りの世界を図顕して象徴した曼荼羅が作られる。曼荼羅は当初は一時的に土や砂で壇として作られるものだったが、後に布や紙に描いた絵図の形式が生まれた。さらに、こうした儀礼の効果や象徴の意義を説明し正当化する経典がつくられるようになった。
大まかには以上の諸要素が組み合わさり、経典に基づいて、曼荼羅を作り、そのもとで印や真言・陀羅尼を用いて祈禱を行い、それら象徴を媒介として、仏や菩薩といった尊格と修行者とが一体化して何らかの利益を得るという密教の基本形態が形成されていった。こうした密教発達の背景の一つとして、グプタ朝(4~6世紀)以降、ヒンドゥー教のシヴァ信仰が盛んになる中、仏教側が王権や在家信徒の現世利益を成就させるための祈禱儀礼を積極的に取り入れて教勢を維持しようとしたことがあったと考えられている。
7世紀に成立した大日経、金剛頂経では、これまでのような世俗的な利益を超えて、覚りを得て成仏することを説くようになる。口に真言・陀羅尼を唱え、手に印を結び、心に仏を思い浮かべることで、大日如来の身口意の三密が修行者の三業と一体化すること(三密加持)を説くなど、教理的な意義づけや体系化が進んだ。さらに灌頂[かんじょう]という師から信徒へ法門を伝授する儀式も発達した。9世紀以降の後期の密教では、従来の密教に加え、性的要素を取り入れた修法を行うようになった。
【中国・日本への伝来】陀羅尼を説く経典は3世紀ごろには中国で漢訳されていたと考えられている。7世紀の唐には、大日経、金剛頂経といった体系化された密教経典が善無畏・金剛智・不空の三三蔵などによって伝えられ、玄宗はじめ皇帝から護国の祈禱として重用され、厚い保護を受けた。
日本には奈良時代に密教経典が伝来していたが、平安初期に空海(弘法)によって初めて大日経、金剛頂経がもたらされた。特に空海は唐に渡って恵果から伝授されたという胎蔵・金剛界の両部の法を伝え、真言宗の根本教義に据えた。その後、日本の密教は天台宗・真言宗において、それぞれ台密・東密として独自に教理や実践が発達した。なお、チベット、ネパールには最終期の密教が伝来し、今日においても存続している。▷顕教/真言宗