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極楽寺良観(ごくらくじりょうかん)

1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性[にんしょう]のこと。良観房ともいう。奈良の西大寺[さいだいじ]の叡尊[えいぞん]に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府要人に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271年)の夏、日蓮大聖人良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人竜の口の法難佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。▷叡尊