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竜象房(りゅうぞうぼう)

生没年不詳。鎌倉時代の天台宗の僧。はじめ延暦寺に住んでいたが、比叡山の衆徒により住房を焼き払われた。これは竜象房の人肉を食べるという性癖が露見したためであると考えられる。「頼基陳状」に「彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間」(1159㌻)とある。その後、鎌倉に入り、極楽寺良観忍性)の庇護を受け、桑ケ谷[くわがやつ]に法席を構えて説法し、釈尊の再来であると敬われていた。しかし建治3年(1277年)6月、日蓮大聖人の弟子だった三位房[さんみぼう]と問答し、多くの聴衆の面前で徹底的に破折された。このことを恨み、三位房と同行した四条金吾が徒党を組み武器をもち悪口・悪行をして竜象を責めたとの虚偽の証言をつくり、金吾の主君・江間氏に訴えた。このため金吾は主君の勘気を受けた。桑ケ谷問答のあと、竜象房の行方は不明だが、同年9月に金吾に与えられた「崇峻天皇御書」には「彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ」(1171㌻)と記されている。▷三位房