「開目抄」(209㌻)、「観心本尊抄」(246㌻)では、「薩達磨」(サンスクリットのサッダルマの音写、意訳は妙法)の「薩」の字を解釈し、法華経で明かされる妙法に一切が具足することを示されている。両抄では、「『薩』は具足を意味する」(涅槃経)、「『沙』は六と訳す。西域の習慣では六には具足の意味がある」(『無依無得大乗四論玄義記』とされる)、「『沙』は具足と翻訳する」(『法華義疏』)、「『薩』とは梵語であり、中国では妙と翻訳する」(『法華玄義』)、「『薩』とは六である」(『大智度論』、以上はすべて通解)の文が挙げられている。
「薩」はサンスクリットのsatを音写した漢字。satには、「正しい、すばらしい」という意味がある。「沙」はサンスクリットのṣaを音写した漢字。「六」はサンスクリットではṣaṣである。インドの俗語では、sとṣが区別されないものがあり、仏典の写本でも区別されないものがある。
以上を踏まえられ、「開目抄」では法華経方便品第2にある「具足の道」(法華経115㌻)とは妙法のことであり、万人が仏の境涯を得ることができる妙法が法華経で初めて明かされたことが述べられている。「観心本尊抄」では以上の文に加え無量義経の「六波羅蜜を修行したことがなくても、六波羅蜜が自然に出現する」(法華経53~54㌻、通解)との文を引かれ、これら無量義経、法華経、そして薩・沙に関する文は、「釈尊が成仏する原因となったあらゆる修行と、成仏した結果、得られたあらゆる功徳との二つは、いずれも妙法蓮華経の五字に具足している。私たちがこの五字を受持すれば、自ずとこの釈尊の因と果の功徳をすべて譲り与えられる」(246㌻、通解)ことを意味すると仰せである。▷南無妙法蓮華経/法華経