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道隆(どうりゅう)
1213年~1278年。鎌倉時代に南宋から渡来した臨済宗の禅僧。蘭渓[らんけい]ともいう。筑前(福岡県)、京都をへた後、鎌倉の
北条時頼の
帰依をうけ、建長5年(1253年)に
建長寺の
開山として迎え入れられた。時頼の
出家の戒師も務めている。文永5年(1268年)、
「立正安国論」に予言されたとおりに蒙古から国書が到来した際、
日蓮大聖人は幕府の為政者や諸宗の僧を
諫暁し、
道隆に対しても書状(173㌻)を送り、公場対決を迫られた。しかし
道隆はこれに応じず、
真言律宗の
極楽寺良観(
忍性)らとともに幕府に働きかけ、同8年(1271年)の
竜の口の法難が起こる契機をつくった。権勢を誇った
道隆であるが、大
聖人は「
道隆の振る舞いは日本国の道俗は知ってはいるけれども、幕府を恐れているからこそ尊んでいるとはいえ、内心は皆疎んでいるだろう」(1230㌻、通解)と指摘されている。▷
建長寺/
北条時頼