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得宗領(とくそうりょう)

得宗の所領。防衛・交通などの要所が多く含まれていた。文永11年(1274年)5月に日蓮大聖人が鎌倉から身延に入山される時、駿河国(静岡県中部)は北条時宗得宗領となっており、特に富士方面は後家尼御前北条時頼の妻、時宗の母)たちの御内がいて、大聖人を時頼・重時の敵であると憎んでいた。そのため、大聖人は門下に弾圧が及ぶことを心配され、富士の高橋入道宅に立ち寄らず通り過ぎたと述懐されている(1461㌻)。同時期に日興上人は駿河と甲斐(山梨県)の2国を中心に弘教を大きく展開されており、後に熱原の法難が起こることとなる。