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日興上人(にっこうしょうにん)
1246年~1333年。
日蓮大聖人の後継者。第2祖。
伯耆房[ほうきぼう]、
白蓮阿闍梨[びゃくれんあじゃり]と号す。
甲斐国[かいのくに]巨摩郡[こまぐん]大井荘[おおいのしょう]鰍沢[かじかざわ](山梨県南巨摩郡鰍沢町)の生まれ。
駿河国[するがのくに](静岡県中部)の岩本
実相寺[いわもとじっそうじ]で
天台宗の僧として学ばれた。正嘉2年(1258年)ごろ、大
聖人の弟子となられた。
伊豆流罪・
佐渡流罪にも同行し、長年にわたり大
聖人の身近にお仕えした。弘安5年(1282年)10月、
武蔵国[むさしのくに]の
池上宗仲邸で、大
聖人が亡くなる直前に、
六老僧の一人として選ばれ、大
聖人滅後の
妙法弘通を託された。また大
聖人の葬儀を取り仕切り、詳細な記録(「宗祖御遷化記録」)を残し、弘安6年(1283年)1月に墓所の輪番を定めた記録(「墓所可守番帳事」)も残されている。反対に
日興上人以外の
五老僧は、大
聖人の教えをゆがめていった。
日興上人は、大
聖人の
不惜身命の
広宣流布の精神と行動を受け継ぎ、
謗法厳戒の精神を貫いて
国主諫暁を推進された。それとともに、
曼荼羅御本尊を多く書写して信心強盛な門下に与え
御本尊根本の信心を確立された。また大
聖人が著されたすべての著述を「
御書」として大切にし、自ら書写し講義するなどして研鑽を奨励し、後継の弟子を多く輩出された。▷
身延離山/
「富士一跡門徒存知の事」/
「日興遺誡置文」/
「五人所破抄」/
十大部/
五老僧