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亀茲国(きじこく)
中国の新疆[しんきょう]ウイグル自治区にある天山南麓のオアシス都市クチャ(庫車)周辺に栄えた古代王国。亀茲は、サンスクリットのクーチーの音写と考えられる。古代の住民はアーリア系とみられ、インド・ヨーロッパ語族のクチャ語を用いた。
中国の前漢以来、漢土と西域・インドなどを結ぶ東西交通路のうち西域北道(天山南路)の要衝として栄え、北道における最大の王国であった。この国では、漢の記録に現れて以来、白(帛)姓をもつ王家をいただき、やがて
中国の南北朝から唐にかけて「白」または「帛」姓をもつ王族出身の僧侶が多く
中国を訪れた。彼らが伝訳した経典などによると、この国では早くから部派仏教系の仏教が盛んであった。5世紀の初めに後秦の王・姚興[ようこう]によって長安に迎えられた
鳩摩羅什は亀茲の王族出身にもかかわらず
大乗を学んでおり、
法華経をはじめ
大乗の経典や論書を多く訳出し、後世に大きな影響を与えた。その後、
亀茲国は6世紀末から西突厥の勢力に押されて衰微する。7世紀半ばには唐が西域に進出したのにともない、ここに唐の安西都護府が置かれた。630年ごろ、
玄奘はインドへ向かう途中、この地を訪れた。彼の著作『大唐西域記』には、
亀茲国の様子として仏教の伽藍が100余所あり、僧徒5000余人が説一切有部を学んでいたと記されている。▷
鳩摩羅什