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「下山御消息」(しもやまごしょうそく)
建治3年(1277年)6月、
日蓮大聖人が、門下の因幡房[いなばぼう]
日永[にちえい]のために代筆され、
甲斐国巨摩郡下山郷(山梨県南巨摩郡身延町下山)の
地頭・
下山兵庫五郎光基に送られた弁明書(343㌻)。
十大部の一つ。
下山光基の氏寺である平泉寺に住む僧・
日永は、
日興上人を通じて大
聖人に
帰依し、
法華経如来寿量品の
自我偈を
読誦するようになった。しかし
念仏の信者であった
下山光基の怒りを買い、平泉寺を追放されたため、大
聖人が本抄を執筆された。本抄では仏法流布の歴史をたどり、
法華経の卓越性を確認される。そして、
三類の強敵による迫害を受け
法華経を
身読された大
聖人御自身こそが、
末法にあっては「
教主釈尊より大事なる行者」(363㌻)となることを示されている。