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教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)

御書中の用例としては、法華経に説かれる久遠実成釈尊のことをさす。特に娑婆世界、すなわちこの現実世界の衆生成仏へと導く仏が釈尊に他ならないという意味が込められている。「開目抄」「観心本尊抄」に基づいて述べると、法華経如来寿量品第16では、久遠実成という釈尊の真実の境地を明かし、その久遠の仏が娑婆世界常住していると説かれる。したがって、娑婆世界こそが久遠釈尊の真実の国土となり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光[しゃばそくじゃっこう])になる。これに対し、諸経典に説かれる、久遠釈尊以外のさまざまな仏は、すべて釈尊分身[ふんじん](方便として仮に現した姿)であり、その住む国土方便として示された国土であり、いずれも娑婆世界衆生にとって縁の薄いものにすぎない。日蓮大聖人は、浄土宗阿弥陀仏を自分たちに縁のある仏と思って本尊とすることは、娑婆世界教主である釈尊を蔑ろにすることであると破折されている。▷教主