リンク表示:

本尊(ほんぞん)

①根本として尊敬(尊崇)するものを意味し、信仰の根本対象をいう。仏教では一般的に、仏像や菩薩の絵図などを本尊として崇める。私たちが信仰の根本として拝する本尊は、日蓮大聖人が図顕された南無妙法蓮華経御本尊である。▶御本尊[ごほんぞん]
②【衆生が獲得すべき人格的価値を体現した目標】「開目抄」の冒頭(186㌻)に掲げられた「あらゆる衆生が尊敬すべきもの」としての本尊。ここでいう「本尊」とは、単に尊崇したり利益を施してもらったりするものであるだけではなく、自身も獲得・達成すべき人格的価値を体現している目標といった意味である。その人格的価値の最大要素は、本抄冒頭に示されたように「主師親の三徳」である。同抄では、法華経を根本とする天台宗以外の諸宗は「本尊」に迷っていると指摘される。また、ゆるぎない幸福を確立するための生命の根本の因果を説いて、あらゆる衆生に対して「主師親の三徳」をそなえているのは誰であるかを明かし、それは成仏の根本原因である仏種を所持し久遠下種した「法華経寿量品久遠実成釈尊」であると結論づけられている。すなわち、娑婆世界衆生下種を施した教主久遠釈尊であり、その後も、長遠な期間にわたり教化を続けて下種の成熟を図り、ついに法華経本門の説法で久遠下種を思い起こさせ、得脱させたことを挙げる。そして久遠釈尊こそが、種熟脱三益を施す、娑婆世界衆生有縁の仏であって、本尊たりうることを示されている。さらに、下種した仏種とは寿量品文底に秘められた一念三千であり、天台大師智顗一人だけがそれを会得していたことを確認されている。末法においては、一念三千の仏種を包摂する法華経題目、すなわち南無妙法蓮華経を教え広める人が、主師親の三徳をそなえて人々を教え導く存在であり、具体的には、日蓮大聖人をさす。
③【仏界の身土を図顕】「観心本尊抄」(247㌻)には妙楽大師湛然『止観輔行伝弘決』巻5の「(衆生の境涯を現実に構成する)身と国土は、一念三千である。故に成仏の時には、この根本の真理に合致し、その一身・一念は宇宙全体に遍満するのである」(通解)との文を引用されている。ここに確認されたように、生命に持つ法がその国土にあまねく広がり、境涯・世界全体となって現れる。したがって、それぞれの経典に登場する仏は、それぞれに自身の成仏因果を明かし、その教えに応じた国土を現している。よって、その仏とその世界、すなわちその仏の境涯全体が、それが説かれる経典を信じ実践する人にとって実現すべき目標であり、本尊である。大聖人は、釈尊の教えの中では法華経本門寿量品娑婆即寂光の世界が真実の一念三千が顕現された仏界の身と国土であることを示された上で、その寿量品の世界を借りて、妙法を成就されている御自身の御生命を御本尊として図顕された。