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伊豆流罪(いずるざい)
日蓮大聖人が弘長元年(1261年)5月12日から同3年(1263年)2月22日まで、伊豆国伊東(静岡県伊東市)に不当に流罪された
法難のこと。前年の文応元年(1260年)7月、大
聖人は
「立正安国論」を
北条時頼に提出して第1回の
国主諫暁を行われたが、幕府はそれを用いなかった。「安国論」で大
聖人は、
念仏を厳しく破折されていたが、この「安国論」提出からほどなく、
念仏者は
執権・
北条長時の父である重時をうしろだてにして、鎌倉・名越にある大
聖人の草庵を襲った(
松葉ケ谷の法難)。大
聖人は一時的に避難されたが、しばらくして鎌倉へ帰られた。幕府は不当にも大
聖人を捕らえ、伊豆の伊東へ流刑に処した。はじめ川奈の海岸に着かれた大
聖人は、船守弥三郎[ふなもりやさぶろう]にかくまわれ支えられ、のち伊東の
地頭・伊東祐光[いとうすけみつ]の邸へ移られ、2年後に赦免された。その間、
日興上人が伊豆に赴いて給仕され、さらに付近を
折伏・
教化された。また伊東祐光が病気になった時、
念仏信仰を捨てる誓いを立てたので、大
聖人は平癒の祈念をされた。病気が治った伊東氏は海中から拾い上げた釈迦像を大
聖人に御
供養した。大
聖人はその像を生涯、随身仏として所持され、臨終に当たり墓所に置くよう遺言されたが、百箇日法要の時に
日朗が持ち去った。