リンク表示:

松葉ケ谷の法難(まつばがやつのほうなん)

「立正安国論」提出後の文応元年(1260年)、日蓮大聖人が鎌倉・名越[なごえ]に構えられた草庵で念仏者らに襲われた法難のこと。草庵があった地は松葉ケ谷と伝承される。文応元年7月16日、大聖人宿屋入道[やどやにゅうどう]を仲介として、念仏などの謗法の諸宗を捨て正法帰依するように勧めた「立正安国論」北条時頼に提出し、第1回の国主諫暁を行われた。しかし、このことが幕府の権力者たちの怒りにふれ、念仏者をはじめ諸宗の僧らも大聖人に恨みを抱いた。その後間もなく、念仏を信仰していた北条重時ら権力者を後ろ楯とした念仏者らが、深夜に大聖人の草庵を襲撃した。大聖人はこの難を逃れ、一時、鎌倉を離れられたが、ほどなく鎌倉に戻られた。翌・弘長元年(1261年)5月12日、重時の息子で執権であった長時は、大聖人を無実の罪で伊豆へ流刑に処すなど、さまざまな迫害を加えていった。▷伊豆流罪/国主諫暁/「立正安国論」