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宿屋入道(やどやにゅうどう)

生没年不詳。宿屋禅門などとも呼ばれる。北条時頼[ほうじょうときより]・時宗[ときむね]の2代の執権に仕えた武士(得宗被官)。特に北条時頼にとっては側近中の側近で、臨終間際に出入りを認められた数少ない者の一人だったという(『吾妻鏡』)。北条時頼への「立正安国論」提出は、宿屋入道を介してのことだった。その後、蒙古襲来が現実味を帯びてきた文永5年(1268年)、大聖人が11通の書状(十一通御書)の一つを北条時宗に送付して上申された時も、宿屋入道を介している。▷北条時頼