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無明の辺域(むみょうのへんいき)
「
無明に覆われた境地」の意。日本
真言宗の祖・
空海(
弘法)が、
法華経の
教主である
釈尊などの仏を
大日如来に対比して、このように呼んだ。
『秘蔵宝鑰』巻下では、「並びに是れ
法身真如一道無為の真理を明かす……諸の
顕教に於いては是れ究竟の理智
法身なれども、
真言門に望むれば、是れ則ち初門なり……此の理を証する仏を亦、
常寂光土の毘盧遮那と名づく。大隋の
天台山国清寺の
智者禅師、此の門に依って
止観を修し、法花
三昧を得て……是くの如き一心は
無明の辺域にして、明の分位に非ず」としている。すなわち、
法華経の
教主は
顕教の中では究竟の理
法身であるが、
真言門に対すれば初門にすぎず、明の分位たる果門に対すれば、「
無明の辺域」であると下している。このことを
日蓮大聖人は法華誹謗であるとして、
「撰時抄」(277㌻以下)などで厳しく追及されている。▷
戯論