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禅宗(ぜんしゅう)

座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨[ぼだいだるま]を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍[だいにちのうにん]や栄西[えいさい]によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆[らんけいどうりゅう]によって伝えられた臨済宗[りんざいしゅう]の禅が広まっていた。
【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花をひねって弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉[かしょう]一人であったとし、法は不立文字[ふりゅうもんじ]・教外別伝[きょうげべつでん]されて迦葉付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修[しょうなわしゅ]と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。
【唐代の禅宗禅宗では、第5祖とされる弘忍[こうにん]/[ぐにん](601年~674年)の後、弟子の神秀[じんしゅう](?~706年)が唐の則天武后[そくてんぶこう]など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂[ふじゃく](651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会[じんね](684年~758年)がこれに異を唱え、慧能[えのう]が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗[なんしゅう]と神秀派の北宗[ほくしゅう]とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗[そうとうしゅう]は、南宗の流れをくむ。
【教義】戒定慧三学のうち、特に定[じょう]を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝[ぶっそふでん])、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心[じきしにんしん]、見性成仏[けんしょうじょうぶつ])というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。▷菩提達磨/慧可/慧能/大日能忍/栄西/道隆/禅天魔