菩薩の世界。菩薩が得る部分的な覚りの境涯。菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァの訳で、「仏の覚りを得ようと不断の努力をする衆生」の意。もとは釈尊の過去世の修行時代の姿をさし、さらに釈尊と同様に成仏の道を歩む者も菩薩といわれるようになった。仏の無上の覚りを求めていく「求道」とともに、衆生を救おうという慈悲を起こして救済の誓願を立て、自らが仏道修行の途上で得た利益を他者に対しても分かち与えていく「利他」を実践する(上求菩提[じょうぐぼだい]・下化衆生[げけしゅじょう])という、自行・化他の修行をする。
一切の菩薩は初発心の時に①衆生無辺誓願度[しゅじょうむへんせいがんど](一切衆生を覚りの彼岸に渡すことを誓う)②煩悩無量誓願断[ぼんのうむりょうせいがんだん](一切の煩悩を断とうと誓う)③法門無尽誓願知[ほうもんむじんせいがんち](仏の教えをすべて学び知ろうと誓う)④仏道無上誓願成[ぶつどうむじょうせいがんじょう](仏道において無上の覚りに至ろうと誓う)の四弘誓願[しぐせいがん]を起こして、菩薩としての在り方(菩薩道)および修行(菩薩行)の目的と方向を明らかにする。そして、四弘誓願に従って菩薩戒を持ち、六波羅蜜[ろくはらみつ](布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)などの修行を積んで仏果を体得する。
別教では初発心から解脱までを五十二位などに分類して菩薩の階位を定めている。煩悩のうち見思惑を断じたが、塵沙・無明の二惑を断じていない菩薩は方便有余土に住み、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩は、実報無障礙土に住むとされる。爾前の諸経では、このような長期間にわたる各段階の修行(歴劫修行)が必要とされたが、法華経に至って即身成仏が明かされた。
「観心本尊抄」には「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(241㌻)とあり、他人を顧みることのない悪人でさえ自分の妻子を慈愛するように、人界の生命には本来、菩薩界がそなわっていて、それは他者を慈しむ心にうかがえると示されている。仏法の生命論では慈悲を生き方の根本とし、「人のため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯とする。▷三乗/十界