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慧遠(えおん)

❶廬山[ろざん]の慧遠。334年~416年。中国・東晋の僧。初め儒学を学び、21歳で出家して道安[どうあん]に師事。後、廬山に入り、東林寺に住む。402年、123人の同志と共に念仏の結社である白蓮社[びゃくれんしゃ]を設けた。著書に、鳩摩羅什との問答を整理編集した『大乗大義章』3巻、出家沙門は世俗の権力を超越した存在で皇帝を礼拝する必要がないと主張した『沙門不敬王者論』などがある。
❷浄影寺[じょうようじ]の慧遠。523年~592年。中国・南北朝時代から隋の地論宗南道派の僧。法上[ほうじょう]に地論宗の教学を学び、南道派の教学を大成した。56歳の時、北周の武帝が南朝の斉を破り、廃仏の政策を採った時、慧遠一人が帝の横暴に反論した。晩年は、隋の文帝の庇護のもと浄影寺に住み、経典の注釈に力を注いだ。著書に『十地経論義記』7巻(4巻現存)、『大般涅槃経義記』10巻、『大乗義章』20巻などがある。▷三武一宗の法難