奈良市にある寺院。推古4年(596年)、蘇我馬子[そがのうまこ]が大和国の飛鳥の真神原[まかみのはら](奈良県高市郡明日香村)に建立した法興寺をその前身とする。これは日本最初の本格的寺院で、飛鳥寺[あすかでら]とも呼ばれた。塔を中心に西・北・東に金堂をもつ伽藍の遺構が発掘されており、大寺院であったことがうかがえる。天武天皇の時代に官寺となった。
和銅3年(710年)の平城京(奈良市)遷都によって、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)なども新都へ移り、法興寺も養老2年(718年)8月、寺の大部分が新都へ移り元興寺と名を改めた。飛鳥の旧寺は本元興寺[もとがんごうじ]と呼ばれた。
奈良時代には三論宗・法相宗の拠点として、東大寺・興福寺と並んで南都七大寺の一つとして大きな勢力を誇った。写経が盛んで定本として広く諸宗で用いられた。10世紀ごろには衰退し、経済的にも逼迫した。
奈良の元興寺は、8世紀ごろに浄土教を取り入れた智光[ちこう]の住房である元興寺極楽坊を中心に、鎌倉初期に叡尊教団によって復興され、極楽坊は西大寺の末寺となった。現在もこの極楽坊を淵源とする寺などがわずかに残っている。飛鳥の本元興寺には安居院[あんごいん]が残っており、本尊の丈六の釈迦像(275.7センチメートル)は飛鳥大仏と呼ばれる。▷三論宗/法相宗