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六難九易(ろくなんくい)

仏の滅後に法華経受持弘通することの難しさを、六つの難しいこと(六難)と九つの易しいこと(九易)との対比をもって示したもの。法華経見宝塔品第11に説かれる(法華経390㌻以下)。およそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだ易しいと説いたうえで釈尊は、滅後の法華経弘通を促している。
六難とは①広説此経難[こうせつしきょうなん](悪世のなかで法華経を説く)②書持[しょじ]此経難(法華経を書き人に書かせる)③暫読[ざんどく]此経難(悪世のなかで、しばらくの間でも法華経を読む)④少説[しょうせつ]此経難(一人のためにも法華経を説く)⑤聴受[ちょうじゅ]此経難(法華経を聴受してその義趣を質問する)⑥受持[じゅじ]此経難(法華経をよく受持する)。
九易とは①余経説法易[よきょうせっぽうい](法華経以外の無数の経を説く)②須弥擲置[しゅみちゃくち]易(須弥山をとって他方の無数の仏土に投げ置く)③世界足擲[せかいそくちゃく]易(足の指で大千世界を動かして遠くの他国に投げる)④有頂説法[うちょうせっぽう]易(有頂天に立って無量の余経を説法する)⑤把空遊行[はくうゆぎょう]易(手に虚空・大空をとって遊行する)⑥足地昇天[そくじしょうてん]易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る)⑦大火不焼[だいかふしょう]易(枯草を負って大火に入っても焼けない)⑧広説得通[こうせつとくつう]易(八万四千の法門を演説して聴者に六神通を得させる)⑨大衆羅漢[だいしゅらかん]易(無量の衆生阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせる)。
立宗時の誓願六難九易「開目抄」には、立宗に踏み切られる当時、日蓮大聖人六難九易を拝して「成仏を求める強い心を起こして、退転するまい、と誓願したのである」(200㌻、通解)と明かされている。大聖人立宗宣言に先立ち、人々をだまして真実の教えである法華経への信を破り不幸に陥れている元凶が、諸宗の悪僧・悪知識であると、ただ一人ご存知であられた。そして、そのことを一言でも口にすれば必ず大難に遭い、言わなければ無慈悲であり来世に必ず無間地獄に堕ちると葛藤された。それでも不退の誓願を立てて、法華経弘通しようと決断される根拠になったのが、この六難九易であったと仰せになっている。
【仏自身の教判である六難九易身読】また「開目抄」(218㌻以下)では、諸宗がそれぞれよりどころとする経典に自ら第一であると述べられていても、「已今当[いこんとう]」や六難九易のように、仏自らが判定した教えの浅深がわからなければ、そこで説かれている法理の浅深に迷ってしまうと仰せである。そして、現実に六難九易をわきまえて法華経を忍難弘通している御自身について「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(223㌻)と宣言され、「法華経六難九易が分かったので、すべての経典は読まなくてもわがものとなっているのである」(同㌻、通解)と仰せになっている。▷浅きは易く深きは難し/已今当