すべての存在・現象の真実、ありのままの姿のこと。「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな様相をとって現れている、すべての現象・物事のこと。「実相」とは、真実の姿、究極の真理のこと。仏がその広く深い智慧で覚知した万物の真実の姿が、諸法実相である。この真実を覚知すれば、諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相もまた決して諸法から離れてあるものではないことがわかる。
【諸経における諸法実相】諸法実相は諸経典で、仏の覚りの真実、法性などの意で用いられ、それぞれの経典で明かされる究極の真理をさす。諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印が小乗の法印(正しい教えであるとの標識)であるのに対して、大乗では諸法実相を一法印とする。何を諸法実相とみなすかは宗派によって違いがあり、三論宗では八不中道、華厳宗では四種法界、浄土教では弥陀の名号が諸法実相にあたるとする。
【法華経で明かされる諸法実相】法華経では方便品第2で明かされる(法華経108㌻)。そこでは、諸法実相を把握する項目として十如是[じゅうにょぜ]が説かれている。それ故、十如実相[じゅうにょじっそう]と呼ばれる。これによって、仏はもちろん九界の衆生をすべて含めた十界それぞれが、本質的に平等であることが示された。爾前経[にぜんきょう]では、仏と九界の衆生(凡夫)の間には越えがたい断絶があると考えられていたが、法華経では、この壁が取り払われたことになる。つまり、仏と九界の衆生は、現実にはそれぞれ違った様相をとって現れているが、生命としてその本質はまったく同じで、決定的な差別はないのであり、九界の衆生も、どのような境涯にあっても成仏が原理的に可能になるのである。方便品以下、法華経迹門では、諸法実相という万人の成仏を可能にする原理をふまえ、具体的に、爾前経では成仏が否定されてきた二乗の成仏が明かされていく。さらに悪人成仏、女人成仏も説き明かされた。▷十如是
【日蓮仏法で明かされる諸法実相】日蓮大聖人は、天台大師智顗らの注釈をふまえ、「諸法」とは具体的には十界の衆生とその環境世界であり、「実相」とは妙法蓮華経であると明確に示されている。すなわち、「諸法実相抄」で「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(1358㌻)、「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり……万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(1359㌻)と説かれ、十界の衆生とそれが住む国土のすべてが妙法蓮華経そのものであることとする。大聖人はこの諸法実相を御自身の生命の内に覚知され、曼荼羅御本尊として図顕されている。