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出世の本懐(しゅっせのほんかい)

ある人がこの世に出現した真実究極の目的。
法華経に説かれる仏の出世の本懐法華経迹門方便品第2で、釈尊は「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまう」(法華経120㌻)と述べ、諸仏がこの世に出現するのはただ一つの理由があるとする。続いて「諸仏世尊衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう」(法華経121㌻)と述べ、「開示悟入[かいじごにゅう]の四仏知見[しぶっちけん]」を明かしている。すなわち、釈尊をはじめ諸仏の出世の本懐とは、法華経を説いて万人に仏知見(仏の智慧)が本来そなわっていると明かすこと、また、それを開いて仏の境涯を実現する道を確立することであるとする。
また同品に「我は本誓願を立てて|一切の衆をして|我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき|我が昔の願いし所の如きは|今者已に満足しぬ」(法華経130~131㌻)とあり、釈尊にとって自身と等しい仏の大境涯に人々を到達させることが菩薩であった過去世からの願いであり、その根本の誓願[せいがん]が万人成仏法華経を説くことによって果たせたと述べられている。本門寿量品では、この根本の誓願の成就によって、この世でなすべき仕事を終えた釈尊涅槃[ねはん]に入る。しかし、それもまた方便であり、誓願を立てた菩薩としての寿命も、成道して得た仏としての寿命も実は尽きておらず、永遠にこの娑婆世界[しゃばせかい]に常住していると明かしている。すなわち、菩薩としての誓願、仏としての大願[だいがん]、いずれも一切衆生成仏であるが、それを実現しようとする、永遠の仏の力・働きがこの世界に常に存在することを示しているのである。
天台大師伝教大師出世の本懐日蓮大聖人は、法華経の教えをふまえて、難を勝ち越えて法華経に基づく信仰を宣揚した天台大師智顗伝教大師最澄について、像法時代の中国で活躍した天台大師にとっては『摩訶止観』を講述して成仏のための実践である一念三千という観心の法門を説いたこと、像法時代の末に日本で活躍した伝教大師にとっては法華円頓戒壇を建立し法華経に基づく戒法の確立を図ったことを、それぞれの出世の本懐と位置づけられている。
日蓮大聖人出世の本懐】大聖人出世の本懐は、釈尊の教えが功力を失う末法において、万人成仏を実現する道を確立することである。すなわち末法の人々が学び実践して成仏するための法を説き示すことである。大聖人は、その法とは法華経本門文底に秘されていた仏種[ぶっしゅ]である南無妙法蓮華経であると説き示された。
聖人は若き日に、仏法の肝要を知る智者となって、すべての人を苦悩から根本的に救うという誓願を立てられる。この誓願の成就が、御生涯をかけて目指された根本目的であると拝される。大聖人は、万人成仏の根本法である南無妙法蓮華経を説き、本門の本尊本門の戒壇本門の題目という三大秘法を明かし、未来永遠にわたる広宣流布の基盤を確立された。
聖人は、弘安2年(1279年)10月1日に「聖人御難事」(1189㌻)を著され、「出世の本懐」に言及されている。同書は、駿河国[するがのくに](静岡県中部)の富士地方の農民信徒が、政治的権力による不当な弾圧で命を奪われる危機にあっても、妙法の信仰を貫いた「熱原の法難」を機にしたためられたものである。社会的には地位も権力もない農民信徒の不惜身命の姿に、民衆が大難に耐える強盛な信心を確立したことを感じられ、大聖人は同抄を著された。
この熱原の法難において、三大秘法南無妙法蓮華経受持して、不惜身命の実践で広宣流布する民衆が出現したことにより、世界の人々を救うための日蓮大聖人の仏法が現実のものとなった。このことにより、生涯をかけた根本目的、「出世の本懐」を達成されたのである。
【「人の振る舞い」】日蓮大聖人は「釈尊一代の肝心[かんじん]は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品[ふきょうぼん]です。不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのでしょうか。教主釈尊出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのです」(1174㌻、通解)と仰せである。あらゆる人の仏性を信じ礼拝行を貫いた不軽菩薩の「人を敬う振る舞い」は、万人成仏を説く法華経の思想を体現したものであり、仏の真意そのものであると言える。▷熱原の法難/誓願/大願/法華経